368  今日は理科と英語の授業を見学しました  2009年10月30日(金)
 授業見学を続けていますが、今日は理科(物理&生物)の授業と英語の授業を見学しました。
 物理は「波」についての授業でしたが、非常に丁寧な説明で、自分が高校生の時にはほとんどわからなかった物理の授業が今日はよくわかりました。やはり人間は歳をとると記憶力は低下しますが理解力は上がるのでしょうか。生物は盲班(盲点)の投影図を作成する実験の授業でした。実験の間に顔を動かすと盲点の位置がずれ、実験は失敗するのですが、じっとしていられずにすぐに動いてしまう生徒や、いつまでたっても盲点の位置が見つけられない生徒、手順どおり間違いなく実験を進めている生徒など、生徒の個性がよくわかるおもしろい授業でした。先生の最初の実験の手順の話がよくわかるので、実験の手順を間違っている生徒は少なく、賑やかですがみんな実験にまじめに取り組んでいる様子がわかっておもしろい授業でした。
 英語はハロウインをテーマにした授業で、これも楽しい授業でした。1年の基礎クラスだったのですが、質問があるとたくさんの生徒の手が挙がって答えるし、英語で質問しあい、勝った方がキャンディをもらえるゲームでは、たくさんキャンディを得る生徒もいてどの生徒も楽しんで英語に親しんでいたようです。今日見学させてもらった授業は私が高校生のときにはあまりみられない授業でした。理科でも英語でも、ただ座学という形式で講義を聴くのではなく、できるだけ「視覚に訴える」「自分たちが参加する」という形式で進められる授業がふえています。高校の授業は先生方の工夫によってどんどん変わってきています。


367  今日は2年の球技大会  2009年10月29日(木)
 本校でのインフルエンザは今のところ大きな流行はありません。1、2名インフルエンザと診断されて休む場合がありますが、学級休業や学年休業にいたるほどではありません。11月3日からかなり寒くなるという予報ですが、寒くなるとインフルエンザがまた猛威を振るいだす可能性があるので、予防が重要です。新型だけでなく、季節性のインフルエンザも蔓延しだすことを考えると、手洗いやうがいの励行を何度も生徒に注意していかなくてはなりません。このままの状況で推移してくれたら、修学旅行も問題なく行うことができるので、ぜひとも予防に注意してほしいものです。
 というような事情なので、校内の球技大会も予定どおり進んでいます。先週が3年生(写真)、今週が2年生、来週が1年生です。1年生は先週金曜日が遠足、そして来週が球技大会ということで、ちょうどテストとテストの間で少しホッとしている時期かもしれません。3年生も入試の時期ですが、球技大会の時はみんな一時入試のことを忘れて楽しんでいたようです。気分転換は重要です。すでに合格が決まった人は、気分転換も何もないでしょうが・・・・・。
 今日体育の授業を見学していましたが、ソフトボールの授業で3チームにわかれての対抗戦でした。上手な生徒もあまり上手でない生徒も楽しく授業を受けていました。女子でも外野の頭を越すようなすごいバッティングをする生徒もあって、「オー すごい」と思いながら、バックネット裏から見学していました。わざわざタイムをとって、内野を集めて作戦を話し合ったり、大きな声で応援したり、芦間の生徒はどんなときでも一生懸命になってくれるので好きです。授業だから気分転換というのはおかしいのですが、それでも身体を動かすことで、メリハリのついた一日になるのだと思います。


366  久々の授業でした  2009年10月28日(水)
 昨日は久しぶりに授業をしました。「大阪の歴史と文化」「世界遺産を訪ねて」の授業をしておられる先生が出張で、時間割変更もできないので私が代わりにしました。
 「大阪の歴史と文化」はいまは上方漫才の歴史の授業で、漫才の起源や戦前までの漫才の歴史についてはすでに終わっていたので、昭和、特に戦後の漫才の歴史について話をしました。昭和の上方漫才はまず横山エンタツ・花菱アチャコですが、私がリアルタイムでエンタツ・アチャコの漫才を聞いたのは10歳ぐらいのときの一度きりで、それも久々に特別番組か何かで復活したものであったようです。アチャコはラジオドラマの「お父さんはお人よし」のイメージが強く残っています。
 戦後の漫才の中心はやはり砂川捨丸・中村春代、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいしの3組だろうと思います。他にも、お浜・小浜、人生幸朗・生恵幸子や私の大好きな漫画トリオの名前をあげておきました。漫画トリオは横山ノックと上岡龍太郎は知っている生徒も多いのでイメージはつかめたと思います。生徒に最近の漫才で好きなのは誰?と質問したところ、チュートリアル、中川家、次長課長などが挙がりました。M−1やレッドカーペットなどのお笑い番組や、バラエティ番組のひな壇でよく見る人たちで、それなりにどのコンビもうまいと思うのですが、あまりテレビで漫才をしなくなったのが残念です。
 「世界遺産」の授業は2時間続きだったので、最初は海のシルクロードのビデオの一部を見て、アラビア商人の交易によるイスラム教の南アジアへの伝播、2時間目はキリスト教のロマネスクやゴシック建築とイスラムの建築の比較ができるようなビデオがあったので、エルサレムやイスファハン(写真 イラン)の世界遺産を見せながら、イスラムの話をしました。
 授業を何回もしているうちに調子が出てくるのだろうと思いますが、久しぶりの授業だったので、調子が出ず、かなりまじめにやってしまいました。生徒にはあまりおもしろくなかっただろうと思います。私は授業というのはよくわかって,しかもおもしろいエンターテインメント性が必要だと考えているので、昨日の授業は50点だと思っています。


365  続々と大学に合格しています  2009年10月26日(月)
 今日は朝から忙しくて、家へ帰ってから校長便りを書いています。
 今、続々とAO入試などで3年生の合格が決まっています。面接練習や論文練習など徹底して細かく指導した甲斐がありました。岩手県立大、関西学院大、近畿大、畿央大などそれぞれ進学したかった大学に決まって何よりです。私が面接をお手伝いした生徒も幸い合格が決まりました。
 大学に合格してからも高校での学力は絶対必要ですから、手を抜かずにこれからもしっかり勉強を続けてほしいと思います。
 最近は大学の合格が早く決まるようになり、早く決まった生徒から勉強をしなくなってしまいます。まだ決まっていない生徒は焦りだして、「どこでもいいから早く決めたい」と考えて、自分の目標にしていなかった合格しやすい大学へ決めてしまうことも多くなっているようです。目標は最後まで高くもって、最後まで粘ってほしいと考えています。
 「粘り強く」というのは何か回りくどいような気がしますが、急がば回れです。目の前のことにあくせくせずに、長い目で見て自分の進路を考えてほしいと思います。
 また、畿央大学の第4回高校生エッセイコンテストで本校の3年生が優秀賞に選ばれました。「父から受け継いだもの」という題で、パン屋さんを経営するお父さんから学んだことを書いています。畿央大学のホームページにはまだ掲載されていないようですが、近々掲載されるようです。本校の小論文の授業で何度も練習してきたので、なかなかうまいエッセイです。ぜひ読んでみてください。(写真は明日)


364  江戸川乱歩のこと  2009年10月23日(金)
 江戸川乱歩という作家を知っている人もいると思います。名探偵明智小五郎や少年探偵団の小林少年が登場する小説で、1960年代にはテレビにもなりました。
ぼ、ぼ僕らは少年探偵団
勇気凛々 瑠璃の色
望みに燃える 呼び声は
朝焼け空に こだまする
ぼ、ぼ僕らは少年探偵団
というような主題歌(うろ覚えなので、まちがっているかもしれません)を知っている人(と言っても中高年でしょうが)もあると思います。
 ペンネームが「江戸川」ですし、名探偵明智小五郎は東京に住んでいてパリッとした紳士のイメージがあり、小説の舞台も多くが東京ですので、作者の江戸川乱歩も東京の人だと思っている人も多いのですが、実は彼は1920(大正9)年26歳のときから1926(大正15)年32歳まで守口、門真に住んでいます。その後は1965(昭和40)年に亡くなるまで東京住まいです。デビュー作の「二銭銅貨」や明智小五郎が始めて登場する「D坂の殺人事件」は守口で執筆されているのです。早稲田を卒業して新聞社に就職するため父親の住む守口に転居しています。守口市内の来迎町(文禄堤の東側)、八島町、門真市本町などの家を短い期間で転々としています。現在地下鉄守口駅の2番出口(芦間高校に最も近い出口)を出て、すぐ横の緑道公園を出たところに江戸川乱歩寓居跡というプレートのついた家が残っています。大野クリニックという看板が出ていますが、現在は開業されていないようです。この家が明智小五郎誕生の地であり、「屋根裏の散歩者」「人間椅子」などの秀作の誕生地です。
 私自身、江戸川乱歩は「屋根裏の散歩者」ぐらいしか読んだことがありませんが、犯人の心理描写が克明で、最後の方に明智小五郎がさっと現れて犯人を特定して去っていくというかっこよさが人気の秘密なのでしょう。他の作品も読んでみようと思っています。
 守口、門真に縁のある有名人は戦後すぐに総理大臣を勤めた幣原喜重郎(門真市に資料館があります)、松下の創業者である松下幸之助、漫才師の中川家とか歌手の絢香とかがいますが、江戸川乱歩も忘れてはならないと思います。


363  大学から先生に来ていただきました  2009年10月22日(木)
今日は1年生を対象に、大学から先生にお越しいただいて分野別の講義を聞きました。看護分野は大阪府立大、体育・スポーツ分野はびわこ成蹊スポーツ大、教育・保育分野は大阪総合保育大、理学・工学・農学分野は近畿大、芸術分野は京都精華大、家政・生活科学分野は千里金蘭大、外国語・国際分野は関西外大、社会科学分野は奈良産業大、人文科学分野は帝塚山学院大からそれぞれお越しいただいて、大学で何を学ぶのかということについてお話していただきました。
1年生ではまだ自分の目標がはっきり見えていない人もいます。自分のこれからの進路の目標を見つけるためにも、大学で何を学ぶのかを知ることは非常に重要なことです。漠然と「看護師さんになりたい」とか「アニメについての仕事がしたい」とか考えている人が、そうなるには、今何をすればよいのかという具体的な方法を見つけ出す時期に来ています。どんなところへ進学すればよいのか、進学した学校で何が学べるのかということを、これから自分の力で調べていく第一歩です。1年生はこれから「職業人インタビュー(ジョブクエスト)」もあります。自分の将来像を具体的にイメージして、これから先の自分の人生設計をしていきましょう。人生は長いのですが、ぼんやり「何でもいいわー」と考えていると、後につけが回ってくるかもしれません。
総合学科は、入学してから自分の将来像を考える「産業社会と人間」という科目が週2回必修科目として用意されています。自分の将来の目標がまだ決まっていない人でも、この科目を受けて、自分の将来を考える機会を得て、十分に考える時間があります。何か自分の目標が決まっていないと総合学科は受けられないと誤解している人がありますが、むしろ逆で、ゆっくり自分の未来を考えていく時間のある学科です。



362  旭東中学校からお見えになりました  2009年10月20日(火)
 今日は旭区の旭東中学校の保護者の方が20名ほど、学校見学にお見えになりました。私が学校の説明をして、教頭先生に学校の中を案内してもらいました。この季節は学校説明会が頻繁に開催されます。土曜日、日曜日は学校側が主催するオープンスクールや進学塾主催の説明会などが開催されます。本校はすべての説明会に出席するというのを原則にしているので、学校行事などと重なった場合を除いては必ず誰かが行って説明することにしています。
 またこの季節は中学校で開催される説明会も頻繁にあって、約20分程度で学校の説明をする機会も増えています。最近はどの学校もパワーポイントなどを使って映像で説明されることが多いのですが、「映像は見たときはよくわかるが、終わると忘れる」ので、私が外部で説明するときにはできるだけ本校のパンフレットだけを使って説明するようにしています。年末までに、こちらから出向いて説明させてもらう説明会が12件、本校に来られるのがオープンスクールやミニオープンスクールを含めて6件、全部で18件あります。広報を担当している部署の先生を中心に、手分けして行っています。これ以外にも直接電話をしてこられて、学校見学がしたいという方もあります。学校見学もいつでも受け付けていますので、必ず電話で日程と時間を御相談ください。
 本校への入学者の傾向はだんだん変化してきています。女子が多いことは変わりませんが、初めのころ多かった守口市内の中学校出身者が少し減少し、大阪市東部旭区、城東区、鶴見区、都島区などから入学される方が増えています。学校は守口市ですが、正門を出て50mほど行くともう旭区ですから、大阪市内からもけっこう便利なのです。
 女子が多いことは必ず説明会でもふれますが、生徒がつくった「芦間ニュース2号」では「芦間男子に聞きました」という特集を組んでいます。中学校へも配布していますので、ぜひご覧ください。


361  PTAの大人の遠足に行きました  2009年10月19日(月)
 土曜日日は、PTA教養推進委員会主催の上町台地の見学の案内をしてきました。途中の通天閣の上で雨が降り出し、通天閣からは港大橋やATCも見えないほどの状態でした。天気がよくて空気が澄んでおれば、六甲や淡路も遠くに見渡せるのですが、残念でした。降りてきて、恵美須町の駅前では猛烈な雨になり、合邦が辻の閻魔堂と堀越神社はパスして、地下鉄で天王寺の昼食場所に戻りました。
 幸い昼からは、ぱらぱらと雨が降る程度で、午後の見学は無事終えることができました。天神坂や源聖寺坂の登りはけっこうきつく、時間も4時をまわったので、生国魂神社北の真言坂を最後にして、高津神社と井原西鶴の墓の見学は次回に持ち越しとなりました。天王寺七坂は全部歩くことができたのでよかったのではないかと思います。
 大阪に長年住んでいるが、こんな緑の多い大阪の町を全然知らなかったという方もあり、少ししんどかったのですが、参加された方にはおもしろい経験をしていただけたのではないかと思います。
 途中四天王寺の境内を歩きました。一緒に歩いた本校の先生とも話していたのですが、四天王寺というお寺は、奈良の東大寺や興福寺、京都の東寺などとは違って、仏教寺院というよりは仏教と民間信仰が混ざった不思議な感じのするお寺だなと感じます。お寺なのに西門には鳥居が立っているし、境内も荘厳な感じがなく、誰でも入ってきてお願いをするという雰囲気です。聖徳太子が建立したときには、同時に施薬院(病気の人に薬を施すところ)や悲田院(身寄りのない人を収容する施設)を建設したということですから、「庶民の救い」ということが今でも息づいているような気がします。そういう意味でも、大阪らしいお寺だと感じました。
また、愛染さんの隣の大江神社も緑の濃い森の中の神社ですが、境内の隅に、阪神タイガースのメガホンなどがたくさん置いてある一角があります。社殿はまだないのですが「阪神タイガース神社」ができるようです。というのは、ふつう神社の前には狛犬がいますが、この場所に安置してあるのが「犬」ではなく「虎(狛虎?)」なのです。「虎」を見たらすぐ阪神タイガースと結びつけるというのも、いかにも大阪らしいですね。


360  大阪の歴史を少し  2009年10月16日(金)
 中間テストが終了しました。早速クラブ活動が再開されています。今グランドではソフト部、サッカー部などが練習しています。私は明日のPTA見学会に向けて、案内用の資料を読んでいます。資料なしでも説明はできるつもりなのですが、細かい年代などを覚える力がどんどん低下しているので困ります。地理の授業をしたいなとも思いますが、地名や用語などがすっと出てくるかはとても不安になります。歳はとりたくないものです。
 明日の見学は「台地の上と下」という表題をつけています。台地の下は飛田新地の跡や新世界が見学の対象です。台地の上については昨日書きました。同じ大阪でもこんなに違うところがあるということを見ていただきたいと思っています。
 大阪というのは古代に都が一時置かれました。難波の宮(写真 大阪府文化財協会のHPから借用しました)ですが、現在その遺構は大阪城の南側にあります。大阪歴史博物館の地下にも保存されています。都が京都へ移ってから大阪は京都の外港(首都の港湾機能だけを分担する港町)でしたが、実情は芦や葭の生い茂る寂しい場所でした。「渡辺の津」というのがその地域の地名で、今全国にある「渡辺」という姓はそこから来ています。
その大阪が都市として発展してゆく基盤が出来上がるのは蓮如によって石山に本願寺が建設されてからです。石山本願寺は今の大阪城の付近にあったようですが、その寺を中心にして浄土真宗の信徒が移り住んできます。それが大阪の基盤です。蓮如は15世紀(室町時代)の人で、石山本願寺は強固な城砦のような防御をめぐらした建物であったそうです。16世紀の終わりごろ、織田信長と10年にわたる石山戦争を戦うことができたのも、石山本願寺が事実上「城」であったからでしょう。石山戦争に破れて、本願寺は和歌山へ移りますが、その後に大阪に城を築いたのが豊臣秀吉です。秀吉が現在の大阪の町の原型を造ったともいえます。第二次世界大戦の空襲でほとんどが焼けましたが、地割や水路、下水などは秀吉の造った原型がまだ残っています。いま商店街になっている空堀もその一つです。秀吉時代から江戸時代にかけて大阪は大都市になってゆきます。だから、今の大阪の中心地になっている場所は、豊臣秀吉の時代より後にできたところで、都市としては台地の上のほうが下より早く建設されたことになるのです。


359  上町台地を歩きます  2009年10月15日(木)
 PTAの教養委員会主催の見学会(「大人の遠足」と名づけています)を今週の土曜日(17日)に開催することになりました。天気があまりよくないようで心配していますが、地下鉄阿倍野駅午前10時集合で、飛田新地、新世界、安居神社、庚申さん、四天王寺、新清水、愛染さん、生国魂神社、高津神社、井原西鶴の墓など上町台地南部を坂を上り下りしながら案内しようと考えています。
 天王寺七坂というのは、上町台地の西側の坂道で、南から逢坂、天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、真言坂と並んでいます。今でも車の通行ができない坂道もあり、最もむかしの大阪の風情を伝えているのは口縄坂(口縄とは朽ち縄つまり蛇のことです)と源聖寺坂(写真)だろうと思います。
東京の街は面積の半分近くが洪積台地上に立地している都市なので、紀伊国坂、桜坂、無縁坂など有名な坂道がたくさんあります。緑が多く風情のある坂道も多く、坂道の本まで出版されています。
一方大阪は東京と違って平坦な沖積平野に発展した都市ですので、坂が少なく緑の少ない都市です。その大阪で、緑の多い坂道が残っているところが上町台地です。上町台地は大阪城が北の先端で、浅い海に突き出した半島でした。西側に急で東側がゆるい傾斜を持っています。その西側に、天王寺から北へ並んでいるのが天王寺七坂です。当日は坂を上り下りするので、少ししんどいかもしれませんが、距離はそれほどでもないので、ゆっくり案内したいと思います。
むかし上町台地は半島でしたので、西側の崖の上からは海に沈む夕陽が見られました。今は大阪の町に沈む夕陽しか見えませんが、むかしはもっと絶景だったことでしょう。鎌倉時代初期の歌人藤原家隆は、台地の西側に庵をかまえ、海に沈む夕陽を見ながら、極楽往生を空想しました。現在も藤原家隆の碑が建っています。これが「夕陽丘」の地名のおこりです。四天王寺も南大門より極楽の東門に通じるといわれる西門のほうが有名です。
むかしの大阪をイメージしながら、上町台地を歩きたいと思います。


358  中間考査の真っ最中です  2009年10月14日(水)
 現在、中間考査の真っ最中です。テストは金曜日まで。幸い台風の後も授業ができたので、予定どおりテストを始めることができました。間に3連休があったので正味5日間ですが、選択科目が多い学校なのでどうしても期間が長くなってしまいます。期間を短縮すると、選択科目によっては1日に4科目の受験科目がある生徒も出てきてしまいます。1日4科目は試験勉強も大変なので、できるだけそうならないように配慮しています。また、考査前1週間は授業中考査期間にしています。授業中に中間考査をしている科目もあります。
 3年生はこのテストを含めて高校での定期考査はあと3回です。2学期の成績が大学の一般入試にはひびいてくるので、どうしてもおろそかにはできないテストになっています。悪かった分は2学期末と3学期で取り戻せばいいというような、安直な考えではどうしようもありません。一般的な傾向として、2学期の中間考査というのはどうしても成績が下がります。多くの学校で文化祭や修学旅行が2学期にあり、行事にはさまれて中間考査が行われることが多いので、勉強がおろそかになるためだろうと思います。本校は文化祭が9月はじめに終わり、中間考査まで約1ヶ月あったので、少しは文化祭の興奮は冷めていると思います。どんな成績を残してくれるのでしょうか。


357  昨日は学校説明会がありました  2009年10月13日(火)
 昨日は五ツ木書房書房主催の学校説明会に参加しました。芦間、今宮、柴島、堺東の4校の合併の総合学科ブースで、たくさんの方々に芦間の説明をしてきました。私が担当した方だけでも15人近くありましたので、他の先生(全部で常時3名は説明できるように待機していました)も含めると、おそらく60人近くの方が来られたと思います。場所が天満橋のOMMビル2階であったので、京阪沿線の方が多く、たくさん見えられたのだと思います。
 本校の特徴は大学進学をめざす普通科+国際教養科(英語科)+理数科+芸術科を合体した総合学科で、入学してから自分の適性や興味がはっきりしたり、変わったりしても総合学科は対応しやすいこと、英語と数学は1年生から少人数習熟度(成績順)展開の授業をしていること、チューター制度があること、学校行事や部活動などで、どの生徒も生き生きと楽しく学校生活を送っていることなどを説明してきました。非常に総合学科に興味を示してくれた人もあって、ぜひとも学校を見学に、オープンスクールなどに参加してほしいと思います。
 昨日の説明会は、かなり大規模なもので、私学の単独のブースや他府県の私学も含めて150校近いブースがありました。公立高校は全部の学校が参加したわけではありませんが、総合学科、普通科総合選択制、多部制単位制、国際教養科というように学校の種類別に複数の学校がブースをつくり全部で14ブースありました。公立志向が強いのか、いつもの年に比べて公立校のブースが集中している一角はたくさんの人で、特に開会した10時から12時の2時間は椅子が足りなくて、立ったままお話をした場合もあり、しんどい目をさせた方もあったと思います。申し訳ありません。
 昨日は質問はでませんでしたが、来年から本校では共生推進教室の入試も始まります。今日は、自立支援コースを開設し成果をあげている柴島高校へ担当者が数名おじゃましてお話を伺っています。
 一般入試、共生推進入試ともまだ説明会を何回か開催しますので、ぜひお越しください。


356  来週の土曜日「市民開放講座」を開催します  2009年10月09日(金)
 来週土曜日、10月17日は市民開放講座「漢字誕生の世界3」を10時から開催します。すでに2回終わっていて、国語の山本先生の講義がおもしろいので、リピーターの方も何人もおられるようです。3回目だけでも聴講することができますので、学校までご連絡ください。漢字の成り立ちを考えることで、古代中国の人々の精神を理解しようという講義です。何気なく使っている漢字にもそれぞれ意味があって、私たちが全然知らない意味を持っている場合や、できたときとは全く異なった意味で使っている場合もあるようです。
 英語のアルファベットや韓国朝鮮語のハングル、日本語でも仮名は表音文字ですが、漢字は表意文字で、文字そのものが意味を持っています。だから今でも漢字を使う台湾の新聞は、中国語が全くできなくてもある程度何が書いてあるのかわかります。ただ、中国も漢字を使いますが、簡体字に変えているので、非常にわかりにくくなりました。簡体字をたくさん使うことは4千年以上続いてきた中国の文化の破壊につながるように感じるのですが、どうなのでしょうか?
 ところで、漢字という表意文字と仮名という表音文字を混合で使う日本語というのは非常に特殊だそうです。私たちはあまり感じませんが、日本語は外国語として勉強すると非常にむずかしいのだそうです。表記に漢字とひらがなとカタカナが混じる点、主語を省いても文章が成り立つ点、ものを数える数詞がものによって異なる点、などは外国人が学ぶときに大変困るそうです。たとえば川端康成の「雪国」の冒頭、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という文には主語がありません。それをサイデンステッカーは次のように訳します。「The train came out of the long tunnel into the snow country. →列車は長いトンネルを抜けて雪国に出た」と訳すのでしょうか。主語がなくても成り立っている日本語の例です。英語ではThe trainという主語があります。日本語は難しい! 
その日本語にも使われている、漢字の成り立ちを考えるという講義です。是非聴講に来てください。

355  台風一過  2009年10月08日(木)
 かなり大きな台風で、昨晩は強い風雨が吹いていました。学校近くの緑道公園も風で飛び散った落ち葉が散乱しています。朝来る時に、もともとどこにあったのかよくわからないゴミ箱が道にひっくり返っていました。かなり風の力が強かったようです。幸い学校には被害もなく、暴風警報が解除されて2時間後から、予定通り授業を行いました。明日から中間考査なので今日はもともと午前中授業の予定でしたが、授業ができなければテスト開始日を遅らせる必要があり、臨時に土曜日のテストも考えていました。台風のコースがやや東にそれて、8時過ぎに暴風警報は解除になったので、明日から予定通り中間考査ができそうです。
久々の大きな台風でしたが、最近はテレビやインターネットなどで刻々と台風進路を追跡できるので、暴風警報の出る時間や解除される時間がある程度予想できます。インターネットが混雑して使えない場合でも、地デジのテレビならdボタンで情報取得ができるので便利です。天気に関するホームページも気象庁だけでなくたくさんあり、それぞれのホームページが趣向を凝らした情報を流してくれるので、これからの雨や風の予想ができ、備えが十分できるようになりました。
それでも兵庫県の作用町のように洪水で大きな被害を受けることがあります。ゲリラ豪雨のような予測不能な災害や地震、竜巻など、自然の力の前では人間の力は微々たるもので、抵抗しようとしてもどうしようもないことがあります。河川の形を人工的に変えたり、護岸を強化したり、堤防を補強したりしても、近頃は山の保水力が小さくなっているため河川が一挙に増水します。人間の技術で自然災害を克服できたと思っていても、結局自然の力には到底かなわないのだということを思い知らされることがしばしばです。
起こるかもしれない災害をある程度想定して、日頃から避難の方法や経路、避難用の用品などの備えを十分にしておかなくてはいけないのですが、なかなかできません。


354  ルリマツリという花が咲いています  2009年10月07日(水)
 通用門の横、食堂入り口の塀際に今きれいなブルーの花が咲いています(ケータイのカメラの性能が悪いので、白っぽくみえますが)。先日の朝、通用門で生徒に「おはよう」と声をかけていると、ご近所の方に「ブルーの花がきれいなので、少し枝をもらって今育てていますが、なんという花なのですか」と聞かれました。花の形がアジサイに似ているので、アジサイの仲間を検索してみましたがよくわかりませんでした。花の下の種のつき方がカタバミに似ているので、カタバミの仲間も調べてみましたがよくわかりません。そこで「この花の名は?」という掲示板サイト(http://ksbookshelf.com/bbs/sbu2_bbs.cgi)を探していくと、ありました!「ルリマツリ」という花だそうです。南アフリカ原産の外来種で、イソマツ科となっていて、イソマツて何?とまた調べてみると、よくドライフラワーにしているスターチスという赤紫色の花と近縁種なのだそうです。今学校で咲いているのはルリマツリの中のブルーオーシャンという栽培品種だそうです。栽培品種といっても学校ではほとんど野草化しています。挿し木で比較的簡単に増やすことができるそうです。隣のヒルガオとツルをからませあいながら元気に育っています。夏〜秋のはじめは夾竹桃や百日紅のように赤い花が多いので、きれいなブルーの花はとても美しく見えます。もう花の盛りは過ぎたようですが、まだもう少しつぼみが残っています。
 あまり知らない花や鳥が学校の中にはいます。昨日は美術棟の屋上にくちばしの先が黄色で、翼の先が黒い大きな美しい鳥が「ケー・ケー」と大きな声で鳴きながら飛んできて着地しました。チドリの仲間の「ケリ」という鳥で、おそらく淀川の河川敷などで繁殖しているのだと思います。鳴き声は警戒音・威嚇音だそうで、そばにいたカラスに対して発せられたものだったのだろうと思います。芦間高校は落ち着いた住宅地の中にある学校ですが、淀川も近くて、まだちょっとした自然が残っています。


353  台風が近づいています  2009年10月06日(火)
 もうすぐ中間テストが始まります。金曜日から始まるので前日の木曜日は午前中の授業なのですが、台風が近づいていて休校にならないか心配しています。前日に試験範囲が終了するという授業もあると思うので、もし休校になったらテストを遅らせる必要が出てきます。木曜の午後から金曜朝にかけて通過してくれたらいいのですが・・・・・。と言ってこの台風は大きくて現在940ヘクトパスカル、風速25m以上の暴風域が150kmもありますから直撃されるとかなりの被害が出そうです。しかも予想進路を見ると室戸台風や第2室戸台風とよく似ていて、紀淡海峡から大阪直撃もありうる進路です。来てほしくないですね。
戦前の室戸台風を私は知りませんが、大阪では四天王寺の五重塔が倒壊したり、小学校が倒壊してたくさんの子どもたちが亡くなったりと、かなり大きな被害が出て死者も2000人を超えたそうです。第2室戸台風は昭和36年で私もよく覚えています。室戸台風よりは被害は小さかったのですが、私の住んでいた家も床下浸水したし、電線があちこちで切れて台風後約1週間停電していた記憶があります。その当時は1週間停電しても、夜が暗いだけで何とか生活できたのです。今では1週間も停電するとあちこちでパニックが起こるでしょうね。
 戦前や昭和30年代に比べると備えはかなり進歩しているとはいえ、強風や浸水などで大きな被害が出るおそれがあります。強風で飛んでくるもの(看板、瓦など)は避けようがない場合もあるので、よほど気をつけて歩かないといけないだろうと思います。
 台風が来るにしても、勢力が衰えてあまり被害を出さずに、サーッと通過してほしいものです。


352  昨日は守口小学校の運動会を見学しました  2009年10月05日(月)
 昨日の日曜日、少し暑かったですがさわやかな天気で、お隣の守口小学校の体育祭におじゃましました。小学校の校庭に入りきれないほどのたくさんの保護者の方が来られて、グランドが見える外の道路に脚立を出して撮影しておられる方もありました。私も自分の子どもが小学生のとき、特に低学年のときはカメラを持って運動会を見に行きました。小学生のある家族にとっては運動会というのは大きなイベントの一つだったように思います。
 子どもたちも元気いっぱいで、入場行進、選手宣誓、応援合戦など高学年の生徒が中心になって一生懸命でした。高校生の体育祭とはまたちがう元気のよさが伝わってきました。小学校の運動会を見ているとやはり1年、2年ぐらいの低学年の生徒を観察しているのがおもしろいようです。開会式の間に集中力が持たなくなって、余所見をしたりそわそわしたりする子がいる反面、最後までしゃきっとして前を向いている子もあり、それぞれの生徒の個性がよくわかります。校長先生にお伺いすると、守口小学校ではインフルエンザの影響もなく無事に開催できたそうで、何よりでした。
昨年度(今年の2月)、本校には守口小学校の4年生が来てくれています。二週にわたって学年全員が来てくれて、看護の実習授業を体験してくれました。今年もぜひ来て高校の授業を体験してほしいと思います。4年生といっても、あと5年すれば高校受検ですから、子どもの成長は早いものです。


351  「ひだるい」ってどういう意味?  2009年10月02日(金)
 「ひだるい」ということばがあって、大阪ではほとんど使わなくなったことばです。「空腹な」という意味ですが、上方落語には登場します。大阪でもお年寄りの方は意味がわかるかもしれませんが、少なくとも57歳の私は使ったことがありません。しかし意味は知っていて、すでに死語になった大阪弁だと思っていました。ところが東海道中膝栗毛を読んでみると、三島宿(広重の絵)で相部屋になった泥棒に弥二郎兵衛が有り金全部を盗まれ、落ち込んで次のように言います。
弥二「いつそゑど(江戸)へかへろふ(帰ろう)か」 喜多八「ナニサ けへる(帰る)ことがあるもんだ。・・・・・」弥二「それでもモウ ひだるくてあるかれぬ」喜多「ハテまちなさい。ここにゑどからことづかつてきた十二銅(十二文)があるからさきへいつたら餅でもかつてくひなせへ(食いなさい)」
あれ?江戸っ子の弥二喜多が「ひだるい」を使っている?と不思議に思って、あちこち調べてみました。牧村史陽の「大阪ことば辞典」には載っています。他にも調べてみると京の女房ことばでは「杓子」を「しゃもじ」というように、「もじ」をつけて上品に?言い表すことが多いので、「ひだるい」というのは「もじ」をつけて「ひもじい」ということばが生まれたのだそうです。「ひもじい」は今でも全国で使います。また「ひだるい」はいまでも北陸や四国、九州ではお腹がへったという意味で使うようです。大阪弁ではなくて、近世にはおそらく全国で通じることばだったのでしょう。
 ところで、東海道中膝栗毛は江戸から伊勢参りに出かけた弥二喜多の珍道中記ですが、実は最後に弥二喜多は大坂見物もしているのです。京都から三十石舟で八軒家(今の天満橋の大川沿い)に着き、長町(今の日本橋電気街の付近)の分銅河内屋という大きな旅籠に逗留します。高津神社、生国魂神社、坐間神社、住吉大社、順慶町の夜店、新町の遊郭などを見物して、あちこちで騒ぎを起こすのですが、江戸時代後期の大坂の様子がよくわかります。読みやすいとはいえませんが、古代や中世の作品より読みやすいので、興味のある人は一度読んでみてください。


350  生徒総会を開催しました  2009年10月01日(木)
昨日は昼から出張で更新できませんでした。
 今日の6限目は生徒総会でした。本校の生徒総会は生徒がすべてを仕切るかたちになっています。これは生徒が「自分たちの学校だ」という自覚をもつのに大変重要なことだと思います。
前期生徒会執行部が今日で解散し、前期の総括をしてくれました。執行部は食堂でのアイスクリーム販売の実現、委員長会議の実施など新しいことをはじめたことが報告されましたが、当初計画していた生徒会主催の行事がインフルエンザのためにできなかったことなどの反省もありました。各委員会からもそれぞれ報告がありましたが、前期生徒会はよく動いてくれたという印象です。体育館前のウオータークーラーの新しいものへの入れ替えなども、お金の算段ができ、生徒の要望に応えることができました。最後に各クラスからの要望があり、視聴覚室や食堂へのエアコン設置、制服の問題などたくさんの要望が出されました。後期の執行部や委員会でも考えてほしいことですが、実行できるものには早く応えていきたいと思います。
 生徒総会後、後期の生徒会執行部の認証状を一人ずつ手渡しました。前期同様、後期も活躍してほしいと思います。
 視聴覚室や食堂(多目的室)のエアコンは生徒だけでなく学校としてもあってほしいものだと思っています。視聴覚室にエアコンが入ることで、暑い時期の展開授業や文化祭、保護者集会など様々なことに利用することができます。また食堂も営業終了後、学年集会などで利用し、エアコンがあれば利用の選択肢が増えることになります。しかし両方とも250u(畳にすれば150畳)ほどあるので、エアコン設置には数百万円かかります。なかなか簡単には工面することができない金額なので、これから検討していかねばならないと思います。






大阪府立
芦間高等学校
歴代校長だより