142  大阪は よいところなり・・・  2008年10月31日(金)
「大阪は よいところなり 橋の雨」という岸本水府の川柳があります。大阪のふんわりしたよさがよく出ている川柳だと思います。この橋は私にとっては島之内の笠屋町と道頓堀の間にかかる「太左衛門橋」のイメージがあります。戎橋ほど繁華でなく、かといってキタの土佐堀川や堂島川にかかる大きな橋でもない。繁華街にある小さい橋というイメージです。小雨の降る中で傘をさして道頓堀に映るネオンを眺めながら太左衛門橋を渡るというのは今でも考えるだけで気持ちがほんわかします。今は太左衛門橋も親水歩道ができて橋の感じが変わりましたが、少し前までは何の変哲もない小さい橋でした。
大阪は明治、大正のころまでは船場と島之内(大川、東西横堀、長堀に囲まれた地域が船場、その南の長堀、東西横堀、道頓堀に囲まれた地域が島之内)が中心地でした。船場は大店の多いところなので、夜になるとどこの店も大戸を閉めて静まりかえる町なのですが、島之内から道頓堀にかけては大阪随一の繁華街で、夜中でもうどんの出前がとれたといういつまでもあかあかと灯りのつく町でした(島之内の北東端には江戸時代に住友の銅精錬所があったのですが知らない人も多くなりました)。今でも船場はオフィス街で夜はひっそりしていますが、島之内は遅くまで飲食店の明かりが灯っています。私自身は高校のときから上六からミナミに馴染んできたので、今でも島之内や難波を歩くと落ち着きます。戦後になって西横堀は埋めたてられ、上を高速道路が通り、長堀も埋め立てられ地下駐車場とクリスタ長堀という地下商店街になっています。船場と島之内を分ける水路がなくなってしまったので、船場も島之内もあまりわからなくなってしまったのが残念です。
ところで、1年4組では先日の遠足のまとめで一人ひとりがイラストを書いたり川柳を作ったりしています。生徒の作った川柳「コンドルが おりのなかから 空を見る」動物園に行ったときの句でしょう。これはちょっとうまいです。「むかしはあの空をとんでいたのになぁ・・・・・。それなのに今は・・・・・」と、コンドルが空を見上げています。動物園で生まれたコンドルだったら野生の遺伝子が騒いでいるのかもしれません。 


141  授業見学(続き)  2008年10月29日(水)
今日も朝から授業見学をしています。日本史、世界史、保健、体育と4つの科目のそれぞれの先生の授業を見学しました。それぞれ違った個性で授業を進めておられました。私も日本史や世界史の授業は何年もしてきたので、自分の授業を思い出しながら、「私ならここでこのように話しをふくらませるな」とか考えながら、見学していました。保健は昨日に別の先生がされたのと同じ単元ですが、切り口が異なっていて、あまり哲学的な要素を表に出さないで、できるだけ生徒の身近な話題を使って進められていました。内容は同じでも切り口が違うという先生の個性がそれぞれの授業に生きていて、なかなか興味深いものでした。3年生の体育は天気が良かったのでグランドでの授業でした。今はゴルフの授業をしています。授業でゴルフを取り入れている学校はあまりないだろうと思います。普通のゴルフボールをグランドで使うのは危険なので、あまり飛ばないようにバドミントンのシャトルのような羽根の付いたボールを使っています。昨年までは近くにゴルフ練習場があって、授業で何度か利用したようですが、残念ながら練習場は閉鎖されてしまいました。生徒はアイアンを使って、フォームをチェックしながら打っています。卒業してからも生涯体育としてゴルフを続ける生徒が出てくるかもしれません。5限、6限の2時間続きで、6限は一人一人フォームを確認しながらのドライビングコンテストになるそうです。どの生徒も楽しそうに練習していました。私はゴルフはしませんが、すぐ何か言いたくなるたちで、身体の上下動が大きいとか、頭が動いているとか言ってやりたかったのですが、授業のじゃまになるので静かに見ていました。明日からも授業見学は続きます。それぞれの先生の個性が見えて、非常に楽しいものです。

140  授業見学を再開  2008年10月28日(火)
 中間テストが終わって、テストの返却も一段落したので昨日から授業見学を再開しました。今日は3年理系の数学と、1年保健の授業を見学しました。途中で抜けたり、途中から入ったりすると先生にも生徒にも失礼なので、必ず授業のはじめから終わりまで見るようにしています。これから約2週間で全員の先生の見学を終了したいと思っています。
 今日の数学は微積分の授業でしたが、約40年ぶりに微積分に再会しました。私自身は高校のときから点数はよくなかったのですが、数学は好きでした。久々に微積分の授業を見学して、ちょっと昔を思い出して、自分で解いてみてワクワクしながら授業を見学していました。昔なら例えば「半径aの円がX軸上を回転する時の円上の点Pの軌跡」などという場合には、自分で軌跡をイメージしていたものですが、今日の授業ではパソコンを使って実際にスクリーン上で円が転がるのを見ることができるという工夫をこらした授業で、昔の数学とは隔世の感がありました。わかりやすい授業で感心しきりでした。
 保健の授業は「意志決定と行動選択」についての授業でした。例えば、「芦間高校を受験する」という意志によって「芦間高校に合格するように受験勉強をする」という行動が選択されるわけです。まったくあたりまえのことなのですが、あたりまえのことを論理的に整理するということは非常に大事なことだと思います。現代の社会では「ついカッとして、切れてしまった」「むしゃくしゃするのでつい人を傷つけてしまった」というような無意識的な行動が目立っています。人が論理的にものを考えず、感覚だけで行動してしまっているのです。こういう時代に、「あたりまえのことを論理的に整理する」ことは絶対に必要なのです。左脳を鍛える授業です。だから保健というより哲学の授業です。ところが、こういう授業は今の生徒は一番苦手ですぐ眠くなってしまうのです。私も倫理の授業でどうしたら生徒が眠くならないかに苦心したことがありました。今日の授業も貝原益軒の養生訓が出てきたり、先生も様々な工夫をされているのがわかりました。
 「高校の授業が何の役に立つのか」ということを気にする人がたくさんいます。役に立たないものはしたくないという打算的な考えの人は最近非常に多いのですが、何の役に立つのかがその場ですぐにわからなくても、必ず自分の頭の中で生きているのです。今日の授業も実は、数学と哲学的な保健という二つとも「論理学」につながる授業でした。受講していた生徒たちはきっと何かが残っているはずです。それがわかるのは1年先なのか50年先なのかはわかりませんが必ず役に立っているのです。(写真は数Vの授業風景です)


139  船場のレトロビル見学  2008年10月27日(月)
 先週の土曜日(25日)、PTAの方々と大阪市内を歩きました。天六駅に集合された方は23人、まず「大阪市立くらしの今昔館」で幕末の大坂の町を体験しました。この後は人であふれる天六の商店街を歩いて扇町へ、ちょっと待たされましたが「とうふづくし」の昼食を食べ、船場へ向かいました。堺筋本町から北浜まで距離にしたらわずかですが、レトロビルを見学しながら約3時間船場の中を見学しました。まず「綿業会館」。昭和の建物で国指定の重要文化財になっているのはあまりありません。昭和の初期に150万円かかったという建物や調度品を見学しました。会員制の建物なのでふだんは見学ができませんが、お願いして内部を見学させていただきました。続いて「船場ビル」。大正末期のビルですが中央にパティオのある美しいビルで、パティオ部分を見学させてもらいました。その後、生駒時計店のビル、ボンドで有名なコニシの表屋造りの古い商家、かわいいステンドグラスのある青山ビルなどを見学した後、適塾を見学し、最後に大塩平八郎が大塩の乱のときに渡って船場へ突進した難波橋のライオンの前で解散しました。もちろん大塩の乱の時にはまだライオンはいませんでしたが・・・・・。距離にしたらわずかに3キロほどの見学会でしたが、今日は朝から足がパンパンで困っています。その日や次の日に後遺症が出ないで、2日後に出るというのは老化の証拠ですね。
 普段見過ごすことの多い建物や石碑などに立ち止まって船場をゆっくり歩きました。幸い天気もよく気温もちょうどよかったので、絶好の遠足日和でした。好評であれば、年1回ぐらいPTAの教養推進委員会主催で開催できればいいなと思います。いっしょに歩いていただいたPTAの方々、お疲れ様でした。


138  台湾から修学旅行生が来られます  2008年10月24日(金)
 11月6日(水)に台湾からの修学旅行生を本校で迎えることになりました。高雄市立中正高級工業職業学校の生徒が52名来られます。高雄というのは台湾南部の台湾第二の都市で、重要な港町です。もう15年ほど前に一度高雄へいったことがありますが、北緯22度(北回帰線より少し南)の町ですので、ヤシの実を道端の屋台で売っていたりして、いかにも南国の町という都市でした。輸出用の工業製品を製造する工業団地もありアジア有数の工業都市でもあります。その高雄にあるこの高校は機械科、製図科、汽車科(自動車工学)、電機科、控制科(制御工学)、資訊科(コンピューター工学)、電子科、冷凍科、建築科、化工科、金属工芸科の11学科をもつ、開学100年に近い伝統ある大規模校のようです。どんな生徒がやってくるのか、ちょっと楽しみです。お昼から来られるので、食堂で定食を食べてもらったあと、2年生の生徒が中心になっていっしょにホームルームをしたり部活動に参加したりしてもらう予定にしています。昨年の韓国の高校生についで今年は台湾の高校生と毎年アジアの修学旅行生を迎えています。違う国の人といっしょに過ごすことはなかなか楽しいものです。私も数年前に、修学旅行でハワイについていって、オアフ島の最北端にあるカフク高校の生徒と半日いっしょに過したことがありますが、高校生どうしはあっという間に友だちになってしまって、わいわい言いながら楽しそうにグループで学校の中を見学していました。高雄の高校生の中に親しい友だちができる生徒があるかもしれません。(写真はお迎えする高校のパンフレットの表紙です)
来年3月にこちらから語学研修で訪問するのはオーストラリアのアデレードです。その募集はもうすぐ始まります。こちらも実りのある交流を期待しています。


137  高大連携、中高連携  2008年10月23日(木)
 今週の火曜日、大阪市立高倉中学校で本校の石井先生が「看護」の体験授業(出前授業)をしてこられました。当日はいくつかの高校から色々な教科の出前授業があったようです。中学校も生徒の進路選択に向けて色々な工夫をされているようです。写真は本校の文化祭で、看護の授業選択生徒が血圧測定をしているところです。
大学と高校の間は、高大連携が徐々に進んで、大学側が高校生に開放している授業や、大学からの出前授業など大学の先生の講義を生徒が聞く機会が増えています。学校によっては大学での受講を高校の単位として認定しているところもあります。高校生の方も大学のオープンキャンパスや説明会に出かけて大学の中身を調べようとする生徒が増えています。中学校と高校の間では、高校と大学の間ほどの連携は進んでいないようです。中学校での説明会にこちらから出向いてお話しする機会はたくさんありますし、中学生のほうから高校のオープンキャンパスや説明会に来てくれて学校を体験してくれる機会もありますが、高校での授業を聞く機会というのはあまりなのではないかと思います。
 先日の会議で、本校から中学校への出前説明会をもっと積極的に進めようという意見が出されて検討しているところです。できれば出前説明会に授業もセットにしたものにしてみてはどうかと思います。申し込みのあった中学校へこちらから出向いて中学生に高校の説明と授業の一端を知ってもらう機会をつくろうという企画です。40年ほど前の私が現役の高校生のころの高校の授業というのは今の懇切丁寧な授業とはまったく違うものでした。基本は自学自習、「習ってないからわからない」は理由にならないというのがあたりまえで、「習う前にわかっておけ」と言って怒られる数学の先生もありました。テストでも「授業で進むのは50ページまでですが、テスト範囲は60ページまでとします。最後の10ページは自分で勉強しておきなさい」ということも普通でした。それに比べると、今の高校の授業は非常に丁寧です。私は今、先生方の授業を見せていただいていますが、丁寧に説明されるので私が不得手だった理科の授業でもよくわかります。むかしの高校生に比べると先生方の手のかけようが全然違います。そのような高校の授業を、何かのかたちで中学生が見学できるようにできないかと思案しているところです。


136  土曜日に大阪見学をします  2008年10月22日(水)
 今週の土曜日、PTAの方約20人と大阪市内の見学会を開催します。天六の「大阪くらしの今昔館」を見学後、船場に残る明治から昭和前期のレトロビルの見学をします。「くらしの今昔館」はなかなかよくできた博物館で、江戸時代後期の大阪の町並みを実寸で再現している博物館です。天保期の大阪の町の暮らしが非常によくわかります。このような博物館は千里の国立民族学博物館から始まって、千葉県の国立歴史民俗博物館、東京の江戸東京博物館、深川記念館など各地につくられています。
見学するビルはまず「船場ビル」、外観ではよくわからないのですが、中央に吹き抜けがありその周囲にオフィスを配置するというちょうど千里セルシーのようなつくりのビルなのですが、階段の踊り場など細かいところにも配慮が行き届いている大正末期のビルです。大正末期という時期に、これだけセンスのよいデザインのビルがすでにできていたのかと思うようなビルです。次に重要文化財の「綿業会館」昭和初期のビルですが、内装や調度品にその当時の贅を尽くしたビルです。お金がかかっているなということがすぐにわかります。これもすばらしいビルですが、その当時の大阪の活気が伝わってきます。最後に青山ビル、外壁に蔦のからまる小さいビルですが、中のステンドグラスや階段など非常に細かい細工のある瀟洒なビルです。ほかにも外観だけですが、高麗橋の生駒ビル、ボンドで有名なコニシの元の本店(道修町)、有名なフレンチレストランになっているシェ・ワダのビル、あの有名なヴォーリズが設計した浪花教会、八木通商ビル、大阪市立愛珠幼稚園(これは幼稚園とは思えないすごい建物です)、中央公会堂も見学します。もちろん私がこの欄に何度か書いた懐徳堂跡(石碑のみ)、適塾は内部も見学します。ゆっくり歩いて、大阪の船場北部に残る「大阪の力」を見直してみようと思います。最後に大塩の乱の時に大塩平八郎らが渡った難波橋を渡り、北浜駅前の新井ビルを見学しますが、このビルは1階が有名なスィーツのお店で、買い物をしながらレトロビルの中も見学しようと思っています。大阪の町は歩くとおもしろいところがいっぱいあります。今回の見学会で、PTAの方々に好評であれば、これから年に1〜2回定期的に、生徒や地域の方にも参加者を広げて実施したいなと思っています。生野区や大正区、西区の海に近いところ、島之内、渡船、堺、八尾、富田林など案内したいところはいくらでもあります。大阪は楽しいところですよ!
(写真は、堺筋に面した「生駒ビル」です。元は時計屋さんです。壁面にタイルを貼った美しいビルです。今回見学するビルのほとんどは重要文化財か登録文化財です)


135  面接練習をしています  2008年10月21日(火)
 そろそろ3年生の進路が決まりだしました。推薦やAO入試などですでに決まった生徒、1次を合格して発表待ちの生徒が何人もいます。京都産業大学の外国語学部には2名が決まりました。3年生担任団や進路指導の先生方は毎日生徒の模擬面接をしています。私も数人の生徒の模擬面接をしましたが、どの生徒もはきはきとしっかり答えることができています。入試の面接なので、大学で何をしたいのか、どんな問題意識をもっているのかということをしっかり述べる必要があります。その部分が曖昧だと答えに窮して、何を話しているのかがわからなくなってしまいます。自分の問題意識をしっかり事前に考えるという意味では、AO入試はテストの点数だけの入試よりは意味があるような気がします。
 本校の説明会では保護者の方から「芦間高校には指定校推薦枠がたくさんありますか」という質問を受けることがあります。推薦枠はありますが、たしかに伝統のある進学校よりは少ないです。ところで私自身は指定校推薦というのは必ずしもよい方法だとは思っていません。無試験で入学できるということから「楽に入学できる」入試だと思われがちですが、「楽に合格できる入試」というのが曲者です。苦労して最後の一般入試まで粘って(できたらセンターテストも受験して)大学を目指すほうが、大学へ入ってからの学業のことを考えてもよいことだと思います。高校でまじめにした受験勉強は、入試が終わればすべて頭の中から抜け落ちていくのではなくて、必ず大学での学業の基礎になっています。私も文系で大学では地理学を学びましたが、高校での数学の基礎はかなり役に立ちました。高校生の時には数学なんか何の役にも立たないと思っていたのですが、実際には違っていました。どうも受験勉強というのは、暗い、しんどいというイメージが付きまとっていて、できることならしたくないと思っている人が多いようですが、絶対しておいたほうがよい経験なのです。将来のことを考えると、そこで勉強した内容は必ず生きてくるのです。
 私学を受ける人のなかには、受験にいらない勉強はしないという人が数多くいます。また、AOや推薦で11月ごろに合格が決まると、あとはまったく勉強しなくなって遊んでしまう人もいます。それは大学合格を勉強の目的にしているからです。勉強の目的はもっと先にあるのですが・・・・・。大学に合格したからこそ、余裕を持ってあと数ヶ月間、将来のために勉強をするという風に考えてほしいのですが、むずかしいことでしょうか。
(写真は、今の面接の写真がないので、昨年のものです)


134  テストが終わりました。今日は自由だーッ  2008年10月20日(月)
 今日で中間テストが終わりました。生徒は部活動を始めています。私も高校のときを振り返ってみて、テストの期間中は何か重石を乗せられているような気分であったような気がします。終わると爽快感というか、肩の荷が下りた気がしたものです。といって、数日してテストが帰ってくる時まで爽快感を味わえたわけではありません。今日はクラブを一生懸命するのもOK、帰ってゲームをこころゆくまでするのもOK、どこかへ遊びにいくのもOK、テレビを見続けるのもOKな日でしょう。
 ところで、最近テレビではお笑いブームです。これまでの漫才大賞のような賞以外にもM−1がありR−1があり、キングオブコメディがありとお笑いの賞がたくさん生まれました。他にもエンタの神様やレッドカーペットやと各局がこぞってお笑い番組を制作しています。その賞レースや番組の中心にいるのは常に関西の芸人です。お笑いは関西から発信しているというとかっこよく聞こえるのですが、私にはどうも違和感があるのです。例えば、「大阪のおばちゃん」ネタにしても、「大阪の人間はピストルで撃たれるまねをされたら、必ず死ぬまねをする」というネタにしても、確かにそうする人が多いのですが、そういうノリの大阪の笑いというのは、実は東京という中央でつくられた大阪のイメージに大阪の人間が乗っているだけのような気がするのです。つくっているのは中央の人、演じているのは大阪の人という図式が見えてしまうのです。そのあたりが、お笑いも大阪から発信できていないなと感じる違和感の原因です。芸人も東京へ出て行かないと全国区になれない、関西地盤ではギャラが安いから仕方のないところですが、そのような文化発信も経済の問題に帰結してしまう日本の現代文化の貧しさを感じてしまいます。例外はあると思います。例えば上方落語、関西できっちりと育ってきた話芸が上方落語として東京で演じても、日本中どこで演じても「上方落語」として受け入れられます。逆に江戸の落語も同じように、関西でも受け入れられます。江戸と上方が対等の文化発信基地として生きているのです。本来、文化発信とは発信する側と受け取る側が対等の関係にあるべきなのですが、今の東京中心の状況はちょっと寂しい限りです。大阪がお笑いの文化を発信し続けていた記録を残す「ワッハ上方」はその意味でも、大阪の舞台芸の中心であった、あのミナミという場所にどうしても残さねばならない記録なのだと思います。(写真はNGK向かいのワッハ上方がある、イエスナンバビル)


133  柴島中学PTAの方が見学に来られました  2008年10月17日(金)
 今日は10時に柴島中学校のPTAの方々が約30名本校の見学に来られました。残念ながら中間テスト中なので、教室棟を見学していただくことはできませんでした。食堂(本校の食堂は集会ができるようにスクリーン等も設置してあります)で本校の概要と入試の説明をした後、主に実習棟を中心に見学していただきました。学校のことについて、よくおわかりいただけたでしょうか。
 中学生も公立の受験校を決めるときが近づいているので、こちらから出向いたり、中学から来ていただいたりしながら学校の説明を続けています。これから後もこちらからは淀川中学校、桜宮中学校、高倉中学校、都島中学校、梶中学校、蹉陀(正しい字がフォントにありませんすみません)中学校、摂津第二中学校、八雲中学校の8中学から声をかけていただいてこちらから出向いて説明をします。まだこれからお呼びがかかる中学校が増えるかもしれません。また、PTAの方や生徒さんが来られるもの本日の柴島中をはじめ、招提北中学校3年生や摂津二中の2年生が来られることになっています。
 本校へ入学する生徒の出身中学は当初は守口市内が多かったのですが、だんだん守口の中学校が減少し、大阪市東部の旭区、都島区、城東区、鶴見区内の中学校が増加する傾向にあります。今の1年生(7期生)は大阪市、守口市、寝屋川市の順に出身者が多くなっています。地下鉄の今里筋線が開通し、また京阪も中之島線が開業するので大阪市内から一層便利になって、これからも大阪市内からの入学者が増えるのではないかと思っています。ただし、学区が大阪府全域である総合学科とはいえ、地元とのつながりは一番大事なことだと考えていますので、守口市内の中学校にはこれから11月にかけて私がお伺いして芦間のパンフレット等をお持ちしようと考えています。また、谷町線沿線の天王寺区や阿倍野区、東住吉区、平野区の北部あたりからも約30〜40分で通える学校なので、そちらの中学校にも教員が出向いてパンフ等をお持ちしたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。旧5学区や6学区では「芦間高校」という名前がまだほとんど知られていませんし、ご存知であっても遠いところにある高校だと思っている方が多いようです。「意外に近いんですよ」ところから宣伝を始める必要があるようです。


132  アベリアが咲いています  2008年10月16日(木)
 本校の北側にある守口スポーツプラザから淀川河川敷へ出る歩道橋の上でアベリアが咲いています。「卯の花の匂う垣根に、ホトトギス、早も来鳴きて、忍び音もらす、夏は来ぬ」という歌があって、この「卯の花」というのはウツギのことなのですが、このごろは都会ではホトトギスを見ませんし、「卯の花」の垣根もありません。「匂う」というのも、ウツギはあまり香りのない植物なので何か別の花の匂いなのだと思います。そのウツギを交雑してつくり出されたのが園芸品種のアベリアです。本来は夏の花ですから、6月から8月ごろに咲くのがふつうなのですが、アベリアは強い木で、6月ごろから11月末ごろまで花をつけているそうです。季節感のない花です。「いつまでも咲いている、夾竹桃の馬鹿」という時実新子さんの有名な川柳があって、夾竹桃も暑い季節に赤や白の花を長く咲かせていますが、その夾竹桃でもさすがに10月も半ばになると花は見られなくなってしまいます。
 そのアベリアにミツバチがたくさん集まって、冬に向けてせっせと蜜を集めています。花の中にもぐりこんで、小さい身体が見えなくなるくらい花の奥へ入っていきます(写真はアベリアで、この中にミツバチが映っているのですがよくわかりません)。彼らはどんなつもりで働いているのでしょうね?中には「何でこんなこと、せなあかんねん」と思っているミツバチもいるのでしょうか。
人はミツバチのように本能ではなく意志で働きますから、「働かされている」という徒労感があってはまともな仕事はできません。「忙しさ」も徒労感があれば辛いでですが、自分の意思で「働いている」という感覚があれば、同じ忙しさでも充実感を得られるものです。芦間というのは勤務する先生にとっては非常に忙しい学校です。その忙しさが「働かされている」という感覚ではなく、「働いている」という感覚であるような学校づくりをすることが私の役目なのですが、うまくできているのでしょうか?9月末から始めた全員の先生の面談が終わって、もう一度学校の忙しさというものを考えています。テストが終われば先生方の授業を見せていただこうと思っています。私も授業をするのが大好きだったので、授業を見学すると自分もしたくなるのでしょう。
中間テストは月曜日まで続きます。


131  懐徳堂のこと  2008年10月15日(水)
 江戸時代の後期、大阪には懐徳堂という有名な私立の学問所がありました。1724年大阪の商人が設立し、三宅石庵を学長にして中井竹山、中井履軒をはじめ様々な学者が育ち、富永仲基、山片蟠桃などの優秀な町人学者も育ちました。同じ時代みなみの堀江には蒹葭堂(けんかどう)というその名が全国にとどろいた私立の図書館・博物館がありました。蒹葭堂には全国から様々な学者や画家、詩人が訪れ、日本の学術の一大サロンが現出していました。同じ時代、江戸には昌平黌(しょうへいこう)という学問所がありましたが、昌平黌は官立の学問所であったのに対して、懐徳堂は官許の学問所であってもあくまでも私立の学問所であったことがその違いです。「江戸がなんぼのもんや」という大阪の町人の気概が伝わってきます。また、船場では懐徳堂より約100年後の1838年、緒方洪庵が適塾を創立し福沢諭吉、大村益次郎、佐野常民(日本赤十字社の初代総裁)、橋本左内などの幕末から明治にかけて新生日本を創りだした人々を輩出しました。近世後期から幕末の大阪はこのように日本の学術の中心地であったわけです。懐徳堂も適塾も現在は大阪大学に引き継がれ、大阪の学術の拠点になっています。大阪が商人の町で学問の町ではないという風潮はいつからできたのでしょうか?一つの例として東京の都心にはまだ東京大学や早稲田、慶応などの大学が残っています。一部の機能が郊外に移転はしていますが今でも学生が東京の町にはたくさん歩いています。京都の都心にも京都大学があり、同志社も立命館も都心に残っています。やはり京都も学生の町です。ところが大阪は大阪大学は北の郊外にほとんどその機能を移転し、大阪市立大学も市内とはいえ一番南の端にあります。大阪府立大学も大阪女子大学も堺にあります。大阪の都心に大きな敷地を構える大学はありません。都心のビルを利用したサテライトの教室はあっても大学が都心で生きていないのです。このことも大阪の学力が低迷している一つの要因になっているような気がしてなりません。大阪は商売だけの町ではなくて、かつて日本の学術をリードした町だったのだということをもう一度思い出す必要があります。
 なお、懐徳堂は現在は遺構も残っていません(模型が大阪大学にあるようです)。淀屋橋の南の日本生命のビルの壁面に石碑が残っているだけです(写真)。適塾は戦災を免れて、現在一般公開されています。懐徳堂跡の石碑から東へ300mほどの所にあります。ちなみに適塾の南にある、立派な木造の建物は大阪市立愛珠幼稚園です。明治時代に船場の商人が子どもの教育のためにお金を出し合って創ったとても幼稚園とは思えない立派な建築です。近世の大阪の教育にかける力は、明治まで続いていたことがわかります。なお、昌平黌のあった湯島聖堂は東京のお茶の水駅の北側、聖橋を渡ったところに今も残っています。


130  今日から中間考査  2008年10月14日(火)
 今日から中間テストが始まりました。テストの初日が雨というのはちょっとかわいそうですが1日目は無事に終了しました。10月20日(月)までテストが続きます。本校は選択科目が多いので1日1科目だけという生徒もいますし、1日に3科目テストがあるという生徒もあって、テスト勉強もそれぞれ生徒によって違っています。2学期の中間テストは文化祭や修学旅行などの行事が近い日程であって、生徒はそちらに力を使い果たしてどうしても成績が落ちることがよくあるものです。どれだけ切り替えを早くしてテストに集中できるかが勝負の分かれ目になるでしょう。
 午後からは、学校(高等学校)と警察の連絡会を開催しました。守口、門真にある府立高校、私立高校の生徒指導部長と守口警察、門真警察の少年係長、守口少年サポートセンターの少年係長の方々に集まっていただいて、それぞれの学校の現状や守口、門真の少年事案の動向について情報交換を行いました。今日集まっていただいた高等学校は停学などの懲戒件数も少なく、どの学校も比較的落ち着いているようでした。
 情報交換の焦点の一つとして、改正道路交通法による自転車の「傘さし運転」をどうするかという話題が出ました。私学では傘さし運転を禁止している学校が多いのですが、府立ではなかなか難しいようで、どの高校も注意するにとどめているようです。傘さし運転だけでなく携帯を使いながらの運転など自転車の片手運転そのものが指導の対象になるので、できるだけ片手運転をしない(傘ではなくレインコートの着用、自転車運転中は携帯を使わない)ように一人ひとりが注意すべきでしょう。保護者の方もできるだけ傘をさして自転車を運転しないように注意していただきたいと思います。
もう一点、「タスポ」が導入されてもタバコによる補導はあまり減っていないようです。コンビニなどでタバコを買っている中高生もけっこういるようで、少年にタバコを売ったかどで摘発されるコンビニが増えているようです。禁止されていることを陰でコソッとすることをかっこいいと思ってしまうことが中高生の喫煙の原因なのでしょうね。(ちなみに私はへそ曲がりなので、今の喫煙者バッシングの中、今でもタバコを吸っています。)


129  OMMで説明会がありました  2008年10月13日(月)
 今日はOMMで10時から五ッ木書房主催の学校説明会が開催されました。本校は府立総合学科のブースで、今宮、柴島、枚岡樟風高校と4校共同で説明をしました。これまでオープンスクールに来ていただいた方もあり、初めて芦間という名前を知ってどんな学校なのかを確かめに来られた方もありました。芦間高校をよく知ってもらうための説明会ですから、誰でも大歓迎です。受験しようと決めた方も、まだ迷っている方も是非ともいくつかの学校の内容を確かめて、芦間を受験していただきたいと思います。今日の説明の中でもお答えしたのですが、総合学科というのは「高校でこんなことがしたい」、「将来こういう職業に就きたい」ということが決まっている人でないと受験しにくいと考えている方が結構たくさんおられるようです。実際には中学3年生で自分の将来のことを決めている人はそんなにたくさんいませんし、また別の世界を知って高校入学後に進路を変更する人もあると思います。だから、別にまだ将来のことを決めていない人でも受検することは可能ですし、むしろそういう人こそ総合学科に来てほしいのです。1年生は共通科目の授業ですから、1年生の間に将来のこと、2年生からの授業選択のことを考えてもらいますから国際教養科や理数科へ進むより余裕をもって自分のことを考えられるからです。総合学科には必ず「産業社会と人間」という科目があって、本校ではその授業を使って自分の将来のことを考える時間にしています。また、総合学科では大学受験がむずかしいと考えておられる方もたくさんおられるようです。これも間違いです。2年生、3年生の科目選択によって普通科に近い授業を選択することも十分可能ですし、自分の適性に応じて受験のための科目が選択できますから大学受験には普通科よりずっと有利だといえます。こんなことをお話ししました。入試まであと数ヶ月。よく考えて受験する学校を考えてください。 説明会は4時まででしたが、私は午後から、10月25日に本校のPTAの方を対象に実施する、大阪船場の見学会の下見に行きました。大阪特に船場には空襲に耐えた大正から昭和初期に造られた美しいビルがたくさん残っています。そのビルを歩いて廻ろうと思っています。この見学会については、また別の日に・・・・・。
 この「校長だより」のコラムを毎日読んでいただいている方がいるそうです。ありがたいことです。できるだけ毎日更新したいと思います。たまに忙しくてパスしますがご容赦ください。

128  公開講座を開催しました  2008年10月11日(土)
 今日は10時から本校山本先生の「漢字の成立の秘密」という講義がありました。公開講座でしたので、外部から聴講に来られた方、PTAの方、生徒、教員など約20名の生徒の前でお話をしていただきました。甲骨文字のレプリカなどを見せていただきながら約1時間半の講義を聴きました。私も参加させていただいて聴講しました。今私たちが使っている漢字は中国の「殷」の時代に成立したもので、それぞれ意味を持っています。たとえば「伐」という字は「人の首をまさかりのようなもので切っている姿」を表しているのだそうです。漢字の元の姿を知ることはその時代の文化を知ることに他なりません。またエジプトのヒエログリフやメソポタミアの楔形文字はもうすでに現在には生きていない文字であり、全部の解読ができていないのに対して、甲骨文字はそれが変形して現在の漢字になっている点でほとんど解読されており、古代中国の文化が今に生きているということです。また今日多くの国で使われているアルファベットの文字は表音文字であるのに対して、漢字は文字一つ一つが音を表すだけでなく意味も表すことができるという点でも他の文字とは異なった特徴があります。
 現代の韓国や北朝鮮では漢字がどんどんハングル文字に置き換わりつつあります。現在も漢字を使っているのは中国、台湾、日本だけで表記がしやすい表音文字に置き換わることは、営々と築き上げられてきた文化も一緒になくしてしまうということなのだと熱く語っていただきました。
 この講義は来年1月にも行います。大変おもしろいお話ですので、本日聴講できなかった方も、次回は是非お越しください。

127  今日は一日忙しい日でした  2008年10月10日(金)
 今日は朝から大変忙しい日でした。先生方との面談(あともう少しです)と授業見学(まだまだ続きます)、生徒の芦間高校紹介プレゼンの見学、生徒のマナー講座(写真)の見学、学校説明会と分刻みで、4時ごろになってやっと落ち着いてパソコンに向かっています。私は忙しいほうが性に合っているようで、楽しい一日でした。
 授業は2限目、3年生の体育の授業を見学しました。3年生ですから選択した種目の授業で、バドミントンの選択授業でしたが、ランニングや準備運動も班別に自主的に行っており、楽しくバドミントンの授業を受けていました。
4限目の1年生の情報Aではパワーポイントを使った芦間高校案内のプレゼンで、8人の生徒がそれぞれ芦間の様子や学習内容を説明していました。うまく資料を加工して、写真やカットを効果的に加えた発表もある反面、先生が提示した資料をそのまま用いたあまり工夫のない発表まで様々でしたが、なかなかセンスのあるPWPの発表もあって、ぜひとも優秀作品は次の11月15日(土)のオープンスクールで使いたいと思います。
 学校説明会は旭区の今市中学校へ出向いて説明してきました。総勢200人ほどの生徒と保護者の方に20分程度の話を聞いていただきましたが、総合学科の説明、芦間の具体的な説明などちょっと詰め込みすぎたかもしれません。生徒は静かに聞いてくれていました。芦間高校に興味を持っていただいた方はぜひとも学校見学に来てください。今市中学校からだと、自転車でわずか10分ほどの距離です。
 今市中学校から戻って6限目は昨日から1年生対象に行っている「マナー講座」を見学しました。大阪IT会計専門学校から講師の方をお招きして、進学や就職のための面接の受け方、あいさつの仕方、電話でのアポイントメントの取り方など実習を交えて楽しく講義していただきました。面接で最も重要なことは第一印象だということを生徒は心しておかねばならないと思います。いつもとちがう授業で、生徒はみんな真剣に聞いていました。これを書き終わったら生徒の面接練習です。
 色々な工夫をしながら、生徒のために芦間は日々動いています。そのような芦間高校をもっとお知りになりたい方は次の日程で説明会等を行いますのでご参加ください。
10月13日(祝) 五ツ木書房主催学校説明会(総合学科のブース) 10:00〜 OMMビル
11月 3日(祝) 公私立合同説明会    13:30〜 常翔啓光学園高校で
11月15日(土) 第2回オープンスクール 13:30〜 本校で
12月14日(日) ミニオープンスクール  14:30〜 本校で
1月18日(日) ミニオープンスクール  14:30〜 本校で


126  陶芸の授業  2008年10月09日(木)
 10月に入って、人事に関する面談をしています。その面談といっしょに、5月に書いてもらった先生方の今年の目標の進捗状況についても話をしています。先生方の進捗状況はそれぞれ違っていますが、順調に進んでいる先生が多いようです。学校の課題についても伺っていますが、それぞれ見解のちがいがあってなかなか難しい面もありますが、生徒の学力をつけてやりたいという面ではどの先生方も共通しているので、その点では安心しています。高等学校に大量に採用された、私も含めて50代後半の先生方の数がたいへん多く、これから定年ラッシュが始まります。50代後半の先生方でもまだまだ学校の中心でがんばっておられる方や、すでに「収束モード」にはいっている方など様々ですが、幸い本校にはまだ「ご隠居」状態の先生はおられないので、校務は円滑に回っています。
 先生方の面談と合わせて授業見学もしています。今日は2限目の「陶芸」の授業を見学しました。生徒は約20名でどの生徒も一生懸命電動ろくろと格闘していました。私は陶芸をしたことがないので、どれほどむずかしいのかはよくわかりませんが、どの生徒もなかなかうまく形が整わないようで、途中で崩してしまったり、穴が開いたり、ひびが入ったりと悪戦苦闘でした。担当の先生に伺うと、本当は陶土をこねるところから始めなければならないのだそうですが、生徒の数が多い(20人程度の講座が3講座あります)ので、なかなか全員に陶土をこねる作業をさせることが難しく、機械でこねた陶土を利用しているようです。また、陶芸というのは集中力のいる作業で、生徒を見ていると手の止まっているときにはしゃべっている生徒もいますが、ろくろを回すときにはさすがにみんな黙って形を整えていました。成型段階ではまだその生徒のセンスはよくわかりませんが、これから素焼き、絵付け、釉薬かけと作業が続き、そのときに生徒のセンスがよくわかるようになると思います。高校の授業で陶芸をしたという記念になるような作品をぜひものにしてほしいものです。


125  芦間高校を一言でいうと  2008年10月08日(水)
 昨日は校長研修で学校にいませんでしたので、校長だよりも一日あいてしまいました。
昨日の研修のなかで、おもしろい資料が手に入ったのでちょっとご紹介します。色々な企業や学校などの経営理念をまとめたもので、それぞれの企業の様子がよくわかって、なかなか興味深いのです。いくつか紹介すると
「江崎グリコ」は【おいしさと健康】おいしさの感動を、健康の歓びを、生命の輝きを、Glicoは、ハート・ヘルス・ライフのフィールドで、いきいきとした、生活づくりに貢献します。となっています。グリコの創業の精神は「食品による国民の体位向上」であったのですから、時代が変わり、食に対する意識も変わりグリコの企業理念も大きく変わったことが伺えます。
「日本ハム」【企業理念】1.わが社は「食べる喜び」を基本のテーマとし、時代を画する文化を創造し、社会に貢献する。2.わが社は、従業員が真の幸せと生き甲斐を求める場として存在する。外に対する理念と内に対する理念を並立したかたちの企業理念です。企業でも学校でも、組織はとにかく「人が支えている」のですから、組織を支える人たちが率先して喜んでその組織を支えてくれることが重要です。そのためには「働きやすい環境」と一人ひとりが「働かされている」という意識を持たないような組織をつくることが大事なことだと思います。
もう一つ非常にシンプルな「ワタミ(和民)フードサービス」の理念。【グループ共通の思い】地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう。
たまたま3つとも食に関する企業のものになりましたが、それぞれの企業が外にも内にもわかりやすくその企業の理念を示しています。この「わかりやすく」が重要なことなのです。
高校も同じことで、そのコンセプトをシンプルでわかりやすく示さねばなりません。芦間高校は「大学への進学をめざす総合学科高校」ということばで表すことができます。


124  木村蒹葭堂(きむらけんかどう)のこと  2008年10月06日(月)
 以前に一度この欄に少し書いたことのある木村蒹葭堂(きむらけんかどう)という江戸時代の博物学者についてご紹介したいと思います。今の大阪の閉塞感の原因をどこに求めるかということで、大阪が元気であった時代の人物から探れるものはないかと思い立ち、山片蟠桃や木村蒹葭堂(1736〜1802)についての本を読み始めたのですが、読み出してみると木村蒹葭堂というのはとてつもなく面白い人物であることを知りました。
「蒹葭堂」というのは彼が自分の資力でたてた図書館兼博物館の名前で、現在の大阪市立中央図書館(西長堀)のところにありました。現在、中央図書館の南東角のところに木村蒹葭堂の碑が建っています。彼の本来の職業は坪井屋という造酒屋で、体があまり強くなかったため若いうちに隠居して、図書館と博物館の資料の蒐集に力を尽くした人物です。また小野蘭山を師として本草学を学び、漢詩文や絵画、篆刻などの面でも業績を残しています。また洋学の論文も残しているのは、オランダ語もある程度読むことができたということです。そして何といっても重要なのが、彼が克明につけていた日記が残っているということです。その日記から誰がいつ蒹葭堂を訪ねてきたかを知ることができます。蒹葭堂という私設図書館兼博物館は蔵書の数や蒐集資料の数でも全国に名前が知られており、特に当時としてはなかなか手に入らないようなレア物の貴重書も多く、当時の学者が大阪に来れば必ず蒹葭堂を訪ねるというような状況にあったようです。博物館の資料も植物や動物の標本、貴石、化石、機械類など当時の珍しい資料をかなり集めていたようです。また交流のあった人々の著作の出版も手がけていたようで、博物館、図書館、出版社も兼ねた当時の文化発信基地としての機能を蒹葭堂はもっていたようです。
そのような蒹葭堂ですから、さまざまな人が訪れ、また木村蒹葭堂自身も本草学者や洋学者、画家、漢学者に師事し学識を深めていったので、蒹葭堂は学術交流の一つのサロンとなっていたようです。日本史の教科書に必ず名前の出てくる江戸時代中後期の学者はほとんどが蒹葭堂を訪れていることがわかります。大槻玄沢、前野良沢や高橋至時、池大雅、与謝蕪村、田能村竹田、円山応挙などの名前が挙げられます。エレキテルを作った平賀源内とも交流があったようです。
このような文化発信基地が大阪にあったということは、当時の大阪にかなり多くの富が集中していたこと、その富を使って自分の儲けだけでなく、広く日本国中に文化を発信しようという気概を持った、知的好奇心に溢れた人物がいたということでしょう。
大阪万博ごろまで活気があった大阪が、どんどん東京一極集中の波に呑み込まれて、ただの地方都市となってしまった背景に、大阪の文化の発信力の弱さがあるのではないかと思います。企業も行政も業績が悪化するとまず文化発信の部分から切り捨てていく風潮が大阪には根強くあるような気がします。現実主義的といえばそれまでですが、儲けにならない部分をすぐに切り捨てる、文化発信は「CMの一部」としか考えない気風が蔓延しています。大阪は商人の街だから、現実主義的なのは大阪の気質なのだというのは実は間違いで、かつて木村蒹葭堂のような人が大阪の文化を日本中に発信していたのだということを、もう一度思い起こすべきでしょう。
写真は大阪市立中央図書館横にある「木村蒹葭堂邸跡」の碑です。


123  学校説明会in寝屋川  2008年10月05日(日)
 今日は朝から寝屋川高校をお借りして、第2学区全体の公立高校説明会が開催されました。そんなに強い雨ではなかったのですが、朝からあいにくの雨で見学者の方の出足も鈍く、全体で1,000人程度の参加者だったそうです。芦間高校は1教室全部をお借りして、個別相談ができるブースを5ブース(途中から6ブース)作り、学校の説明をしました。合計で60人ほどの方が相談に来られました。教員は8人が出向き、来られた方には待ち時間をつくらないようにできるだけわかりやすく説明したつもりです。わかりやすかったでしょうか?
どうでしたか?写真は廊下から撮した芦間のブースです。男子の冬の制服と、中では首席が来場者の方にお話をしています。
 お借りした教室には芦間のポスターや学校のことがよくわかる写真、パワーポイントによる映像、制服の展示など文化祭の展示のような方法で、あらゆる角度から芦間高校を知ってもらう工夫をしました。芦間グッズはクリアーファイルとプラスチックの定規があるのですが、今日は5色のクリアーファイルを持参し見学にきていただいた方にお渡ししました。ピンクのファイルが一番人気でした。簡単にはできませんが、鉛筆や消しゴム、シャープペンシル、下敷き、ノートなどの芦間グッズも作ってはどうだろうかというような案も出ていました。
 1時過ぎからは体育館で私が約20分間芦間高校の説明をしましたが、パワーポイントの使い方がまずくて、うまく伝わったかどうか自信がありません。お聞きいただいた方には申し訳ありませんでした。あまりうまく伝わっていなければ、どうぞいつでも本校へ来ていただき、学校の様子を見ていただきたいと思います。また電話などでもわからないことにはお答えできると思います。
 本校の次のオープンスクールは11月15日(土)です。まだ申込みの期間がありますので、申込んでください。ホームページや携帯からの申込みもできます。ホームページが見られない方がおられましたら、電話をいただくと申込み方法をお伝えしますので、そのような方をご存じでしたら電話をしてくださるように知らせてあげてください。よろしくお願いします。雨の中、ご来場いただいた方はどうもありがとうございました。

122  オープンスクールを開催しました  2008年10月04日(土)
 今日は朝から、八雲中学校の体育祭を見学させていただきました。中学校の体育祭というのは、やはり先日よせていただいた守口小学校の体育祭とも本校の体育祭とも違ってなかなか迫力のあるものでした。綱引きはそれぞれのチームのパワーのぶつかり合いという感じで、みんな一生懸命でした。いろいろな体育祭を見学させてもらうのもなかなかおもしろいものです。
 午後からは本校のオープンスクールです。学校の授業や選択の説明だけでなく、制服のファッションショーや体験授業など盛りだくさんで、見学にきてくれた200人余りの中学生も本校の楽しさがよくわかっていただけたと思います。最初にあいさつでもお話ししたのですが、高校を選ぶということは大変重要なことです。これから3年間の高校生活が意義のあるものになるかどうかだけでなく、卒業後の進路も決まってくるからです。その意味でも、しっかり自分にあった高校を探してほしいと思います。保護者の方も子供さんの受験勉強と高校選びで大変だと思いますが、しっかり相談に乗ってあげていただきたいと思います。高校を何を基準に選ぶのかは難しいことですが、あちこちのオープンスクールなどに参加して、先輩の様子、先生の様子、部活動の様子、模擬授業の様子などを観察して、その学校のもっているオーラというか雰囲気をしっかり感じてください。その「感じ」からその高校が必ず自分に合っているかどうかは感じ取れるはずなのです。高校の名前ではなく、高校のもつオーラが大事だと思います。また、行きたい高校が見つかったら、その高校に子供を入学させている保護者の方からもお話を聞いてください。クチコミというのも高校選びには役に立つはずです。また、ホームページの更新の回数なども、その学校を良くしていこうという先生の思いが伝わってきて役に立つものだと思います。今日は学校行事などで来れなかった方も、11月にも第2回目のオープンスクールを開催しますので是非申し込んでください。写真は最初の全体会で、生徒会長の矢野さんが生徒会の説明をしてくれているところです。
 明日は寝屋川高校で2学区全体の学校説明会があります。そちらの方にも芦間高校のブースを設けますので、是非ともお越しください。


121  自転車通学のこと  2008年10月03日(金)
 昨晩、寝屋川市在住の方からメールをいただきました。9月の中ごろに、本校の生徒の運転する自転車とぶつかって手を打撲されたそうです。再発防止に力を入れてほしいとのことでした。返信をさせていただいたのですが、アドレス不明で戻ってきましたのでこの場を借りてお詫びをしようと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
 高校生に限らず、若い人の運転する自転車は非常に危険な場合が多々あります。信号無視、二人乗り、傘さし運転、無灯火、自転車通行可能の指定がされていない歩道上の運転、横並び運転など、これらもよく見かけられる運転ですが、道路交通法の改正でこれらの運転はすべて違反運転として検挙の対象になりました。本校でも、何度も注意喚起し、違反運転をしないように注意をしています。ところが、違反運転ではないのですが、若い人の運転でひやひやすることもしばしばです。たとえば「歩行者のすぐそばを追い抜く」「信号のない小さな交差点への飛び出し」「バックしている車のすぐ後ろを急いで通過する」など不注意や他人のことを考えない運転が目立ちます。今朝も上六の歩道上で、猛スピードで前の歩行者のすぐ横を追い抜いていく自転車を見ました。歩行者があと10cmぐらい右へ寄ったら、ぶつかって大けがになるところでした。
 高校生はまだほとんどの生徒が運転免許を持っていないので、教習所で実地の運転訓練を受けたことがありません。先を予測して危険を回避する運転が、なかなかできないのも事実です。先を予測して運転するというのは慣れればそれほど難しいことではないのですが、特に朝急いでいるときには注意がおろそかになってしまうようです。できる限り機会を捉えて先を読む運転についての話をして、交通安全教育の啓発にあたりたいと思います。写真は生徒の登校風景です。映っている生徒は上の文章とは直接関係ありません。本校は自転車での登校が約70%を占めます。かなり遠いところから自転車で通学している生徒もいるので、事故を起こさないように何度も繰り返し注意をしていこうと思います。


120  後期生徒会役員選挙がありました  2008年10月02日(木)
 今日は6限目に後期生徒会役員選挙と生徒総会がありました。役員選挙は役員ポストの数と同じ立候補者数でしたので信任投票です。これからの抱負を縷々述べてくれました。後期の生徒会は前期ほどは忙しくないようですが、生徒の代表として色々なことに取り組んでほしいと思います。11月6日(木)には台湾から高雄市立中正高級工業職業学校の生徒が約50人本校にやってきます。外国の高校生との交流の計画も生徒会を中心にしてもらうことになりそうです。
 役員選挙の後は生徒総会で、前期の生徒会のそれぞれの委員会の総括があり、うまくいった点、反省点、これからの課題などをまとめて述べてくれました。私の経験した学校の中で、生徒会の総括をプリントで出したりすることはあっても、生徒全員の前で発表するということは初めてで、なかなかよい方法だと感じます。みんなの前で発表するためにはしっかりした原稿を書く必要があり、そのためにはしっかりした総括や反省が必要になるからです。文章にするとあとには残りますが「書きっぱなし」というところもあって、あまり吟味せずに文章にしてしまうことが往々にあるものです。
みんなの前で声を出して発表するというのはいちばん頭を使うことで、今日総括を発表してくれた人、生徒会の立会演説をした人は、それぞれ大脳前頭葉が大変活性化しただろうと思います。


119  芦間公開講座のご案内  2008年10月01日(水)
 10月に入りました、と同じ書き出しで始めます。3年生は受験がもう間近に迫ってきました。2年生は修学旅行も終わって、あとは集中して勉強する時期です。1年生も遠足が終わって、そろそろ身を入れて勉強を始めないといけません。今年は例年になく早く涼しくなったので、この秋は学習環境としても最高だと思います。
そんな秋に市民開放講座のご紹介です。本校におられる国語の山本史也先生は漢字の研究家で、漢字研究の第一人者といわれた故白川静(立命館大学名誉教授)の最後の直弟子といわれる先生です。漢字についての講演や著書があり、漢字の成り立ちについて、みのもんたの「思いっきりテレビ」にも今年の5月23日に出演されました。また理論社から「神様がくれた漢字たち」という本を出版されるなど、漢字についてさまざまな活動をしておられます。
その山本先生を講師にして、「漢字誕生の秘密」というテーマで2回の講座を開催します。10月11日(土)10:00〜11:30と1月31日(土)10:00〜11:30の2回です。「漢字の成り立ちから、中国古代の人々のゆたかな精神を追求してゆきたい」と先生はおっしゃっています。いずれも本校の会議室で開きます。興味のある方はFAXでお申し込みください。FAXには必ず「市民講座希望と記入し 氏名 住所 連絡先」を書いて、次の番号に送信してください。芦間高校FAX 06−6997−1054


118  朝のPTA通学指導が始まりました  2008年10月01日(水)
 10月に入りました。昨日からPTAの生徒指導委員会の方々に通学指導をしていただいています。8時15分ごろから本鈴が鳴り終わる8時30分過ぎまで、正門と通用門にそれぞれ2名ずつ立っていただいています。保護者の方が「おはようございます」と声をかけられると、「おはようございます」と答える生徒も多いのですが、中にはまったく知らん顔をして行き過ぎる生徒もあって、「あいさつをする」という簡単なことを定着させるのもなかなか難しいものだと感じます。「おはようございます」と返事をするのが照れくさいという生徒も多いので、一概に返事をしない生徒が礼儀を知らないとは言えませんが、やはりあいさつしていただいている保護者の方に対して、失礼な生徒だなと感じます。
 私は4月からほぼ毎朝通用門か正門に立っています。夏休み前までは8時25分の予鈴を過ぎてから門をくぐる生徒は非常に少なかったのですが、ここのところ8時25分の予鈴と30分の本鈴の間に門をくぐる生徒が増えてきています。あいさつだけでなく、このごろ生徒がだんだん時間にルーズになってきているようです。決められた時間の5分前には集まるというのが団体での行動の大原則ですが、集合時間ぎりぎりに集まる生徒、1〜2分遅れてくる生徒が増えているように感じます。こういうルーズさはじわじわとジャブのように効いてきて、放置しておくと取り返しのつかない事態になってしまうこともありえることです。まだ多くの生徒は時間を守り、あいさつもできているのですが、「ルーズさ」というのは伝染病のようなもので、すぐに人にうつってしまいます。たくさんの人に蔓延する前に、「しつけ」という面で少し締めていかないといけないと感じています。
今日は書くことが二つあるので、もう一つ稿を改めて書きます。






大阪府立
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歴代校長だより