人権学習 映画「夢 追いかけて」  〜5月18日〜

人権学習の一環として、映画「夢を追いかけて」を鑑賞しました
「パラリンピック出場」「教員になる」という夢を追いかけた河合純一さんのお話です。
「夢は実現してこそ夢」との強い想いで両方とも実現されました

観て元気の出るすばらしい映画でした。



3組(女子)
 もしも、自分の目が、今急に見えなくなったら……私は何を思い、どうするだろうか……?何も見えない、音しか聞こえない暗い世界で生きるとはどういうことなのだろうか?…そいういうことを何度か考えたことがあった。中学校のときに「バリアフリー」についての授業で”アイマスク体験”をしたこともあった。…光のない世界で生きていくのは、とても恐くて、とても不安なことなのだと思う。でも現に、私は今、目が見えていて、こうして字をかけている。そんな私に、全盲の人の気持ちを解ることはないんだと思う。…だから私達は「目が見えないのはかわいそうだ」とか「不幸だ」とか自分の価値感(原文ママ)で決めつけてはいけない、相手のキモチを解ったフリ、しったかぶりをしてはいけないんだと思う。でも人の気持ちをわかろうとするのは大切なことだから……相手が私と同じ人間であるが、「私」では無いんだ、それを心において、相手の立場で物事を考えていかないといけないと思った。
 『障害とは、不便であるが、不幸では無い』…と、ヘレン・ケラーの言葉にある。私達が障害を持った人にできることは、そういう人たちに「夢を持たせて上げる(原文ママ)」「夢を叶えるためにそれを支えてあげる」……ということではないだろうかと思った。

6組(女子)
 学校で見る物だから、正直またヤラせっぽい話なのかなぁという失礼極まりない気持ちで、今日の映画鑑賞に臨みました。すみません、ごめんなさい。前言撤回します。
 今回のは本物でした。主人公を本人が演ってらっしゃるという事もあって、変に演じすぎず自然で良かったと思います。
 まず、自分の周辺には障害者らしい障害者はいません。だから、河合さんの友人たちのように接する自信もないし、障害者を生んで悩む母親の気持ちもわかりません。けれど、駄菓子屋のおばさんの言葉には腹が立ちました。おばさんは正しい人生の助言をしたつもりかもしれないけど、私にはただの価値感(原文ママ)の押し付けのように聞こえました。自分の人生のすべてを否定されたんですから。
 それから、河合さんと盲学校で同室だった人の言葉。「僕たちは障害者である事を認めて、そこからスタートするべきじゃないかな」は、とても印象深かったです。
 河合さんは少しでも見えていた時期があった分、ハンディも大きかったと思います。
 障害者の方たちは自らをそうだと認めた上で努力をしてきている。五体満足の私たちは失敗や自分が劣っている事を認めるのが苦手な傾向はあると思う。自分もその一人ですし。
 私たちは彼らから、そういう大切なものを学ぶ必要があるのではないでしょうか?


4期生
4期生